2013年8月17日土曜日

日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語かもしれない説を聞いて妄想してみる。


日本語は、チベット語とアンダマン諸島の言語と共通してて、日本、チベット、アンダマン諸島は、Y染色体が、D系ってことも同じ。そしてこの3カ所は地理的にはめちゃ離れている。ってことで、日本語は、5万年前の出アフリカ当時に話されていたホモサピエンスのもともとの言語にもっとも近いという説があるようだ。

またあんま知らないんだけど、チベットには、野うさぎがトリックスターを演じる神話が多いらしく、これも、5万年以上前のアフリカ時代の名残という説も。

どこまでほんまかわかんないけどね。

しかし、気になるのは、神話の世界観について。

ヒトは、25万年前にアフリカで誕生し、4〜6万年前にアフリカを旅立ち、世界中に広がった。だいたい1万年前くらいから、洋の東西を問わず、少しずつ農耕がはじまってもいる。縄文人だって三内丸山で栗を栽培してた。各地域で各風土を背景に神話が生まれたと考えるよりも、流動的な民族移動の中で、共通する神話体系を受け継ぎながら育んだと考える方が自然かもしれない。

もしも日本語がホモサピエンス祖語にもっとも近いのなら、神話などの精神的ななにかも、同じように残存率が高いじゃないか?

じつは、つい最近まで逆かもと考えてた。
日本神話とか神道は、弥生時代以降のもので、縄文は徹底的に壊滅させられたんじゃないか?と。神道は、あまりにも稲作の宗教すぎる。縄文の残存があまりにもなさすぎると。紀元前数百年前に稲作が長江流域から入って来た時にいっしょに来てて、起源は長江流域にあるんじゃないか?それらしき残存が、現在の長江流域になかったとしたら、途中で滅びたんじゃないか?とも。
外敵に滅ぼされたんじゃなく、自ら過去の文化を捨て去ったのかも、とも考えた。例えば、第二次大戦前後で手のひらを返すように過去を捨てた現代日本人と同じように、縄文から弥生にかけてでも、あたらしもの好きだからいいものは積極的に受入れ過去は気軽に捨てたのかも、と。実際、現代日本人は、昭和三十年代と比べてさえ、衣食住すべて変わった。
縄文って1万年くらいあって、もっと大きなくくりなわけで、もしも、稲作という文化のことを弥生時代と呼ぶのなら、戦後数十年の生活の変化は、大げさにいうと、長く続いた弥生(稲作)時代から次の時代への転換かもしれない。

と、それくらいにおおげさに考えてたんだけど、よくよく調べると、縄文時代中期から陸稲は栽培されてたし、粟は縄文時代の遺跡からも発掘されてるし、ヒエは三内丸山からも発掘されてる。どちらも新嘗祭の供物にもなってる。ヒエで造る酒の方がうまい説もあるらしい。下戸には関係ないけど。近年でも、下北半島では、明治の中頃まで稲は寒さに強い品種がなくて栽培できなくて、ヒエを栽培してたそうだ。

ってことは、注連縄とかの藁は、粟やヒエの藁がオリジナルかもしれない。また、世界各地に見られる食物起源神話の型式の一つに、殺された神の死体から作物が生まれたというものがあり、古事記にも日本書紀にもあるけれど、それも稲作とともに弥生時代に入って来たと思ってたけど、なんともいえないような気もして来た。農耕栽培ではなく、食物採集を示してると解釈もできるし・・・。

結局、結論がない文章なんだけど、世界中の神話の中に、共通項がある。いや、ありすぎる。それらの中から、後づけされたものを省いていくと、ホモサピエンス祖神話のようななにかが見えて来るんじゃないかなあって。

ただ、いわゆる神話の中にあるのか、昔話の中から探した方がいいのか、そこらへんから探訪しはじめてみようかなあと思う。
公式サイト→http://www.yoneharakeitaro.com/

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