僕はどっちかというと、アート志向が強いので、芸術家肌かもしれないけど、広告写真は、社会科学であり、だからマーケティングについても考えなきゃな一面もある。
スタイリストさんやヘアメイクさんなど撮影チームの人との話題の中で、マーケティングという言葉が出る時、だいたいは、『売れ筋のスタイルを意識して撮影すること』を意味し、例えば『みんなと同じテイストを真似すること』だったりする。だけど、同じじゃ、結局は価格勝負になるんですよね。
じゃあ、価格勝負すればいいんだけど、少なくとも僕より年上の人とこういう話をすると、1案件いくらだったとかって武勇伝が出て来る。だけど、単位時間当たりの収益って言葉は、めったに聞かない。
たしかに、単価の高さが写真家としての社会評価なので、それでいいんだけど、作家としての評価は残された作品だろうし、経営者としての評価は、単位時間当たりの収益なんじゃないかと思うと、1案件いくらって武勇伝を追求するのは、僕のスタイルじゃないような気もする。高く売る営業技術というものもあるようだけど、写真というものの商品品質と直接的に関わらない。
ある程度高く設定した方が売れるという方法はたしかにあるようなんだけど、値段が高いから、きっと高級なんだろうと思ってしまう消費者心理なんて、いわば逆風評だし、一般的にも、高級に見せるために、広告に金を使うってバブル的発想だってばれてきてるよね。だから、ネット通販で同じ物をより安く買おうとするのだろう。価格コムとかアマゾンとか。いいものを買って長い目でみて得したいとかじゃなくて、今、損したくないって心情の方が強いんじゃないかな。
価格設定の失敗例はマクドナルドかも。100円はやりすぎで、モスよりやすけりゃ問題なかったのに吉野家とかライバルに設定したからね。
成功例だと、エコカー減税のときに、本田のインサイトがトヨタのプリウスのシェアを奪うために戦略的価格設定をしたけど、トヨタはインサイトを潰すために、プリウスの一番安いのを200万くらいに設定した。プリウスは200万だと利益でなかったけど、本田の成長の芽を潰したから、いっときの利益よりたくさんの結果を得たんじゃないかなあ。
同じようなことが、印刷業界だと3年ほど前にあったらしく、通常の1/3くらいの値段で見積もりで勝ちまくって、かっさらってったとこがあったらしいんだけど、気がつくと潰れてたそうだ。たぶん、ギリギリの採算ベースでやってたから、ちょっと間があくと、自転車操業のバランスが崩れたんじゃないかなあ。
広告写真だと、今年、戦略的価格設定で攻めてきてる業者がでてきてる。しかもまったく無関係の複数の案件で同じようなことが・・。だから偶然とかじゃなくて戦略なんでしょう。僕は直接的に関わってないんだけど、大手クライアントの大口案件で、限界マックスギリギリコスト削減で出したはずの見積もりのさらに1/3の相見積もりに負けたらしい。それが10と7の比較なら、クォリティ勝負とかできるかもしれないけど、10と3じゃ無理でしょ。それに、こっちが、1/2にしたら、クォリティは下がるだろうけど、それでもむこうの方が安い。そこまで安くできてるってことは、超絶効率化してるってことで、むしろ、クォリティは安定してるんじゃないかな。数売るのは安くして、他者の足を引っ張る戦略がとれる。経営者としては攻撃型なんだろうね。そして、単位時間当たりの収益を確保できてるなら、優秀なんだと思う。
同じ写真でも、芸術作品と広告写真の違いは、前者が徹底的にクォリティの高みをコスト度外視で目指すのに対し、後者は、必要十分なクォリティが維持できるなら、できるだけコストは低い方がいい。クォリティの高低と、コストの高低はどうしても比例するけど、きれいに正比例するわけじゃない。ポイントは、分岐点を見定める経営判断なんだろうね。
あらためて、マーケティングってwikiってみた。「顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその商品を効果的に得られるようにする活動」だそうだ。広告業に従事してる人間は二重にマーケティングしないといけない。クライアントさんを対象にした場合と、クライアントさんの商品を買うお客様を対象にした場合と。
後者が求めるクォリティに対し、前者が納得するコストをどこまでどうできるかなんだろうね。
前者の求めるコストで、クォリティバランスをとってたんじゃ、後者へのマーケティングができてるとはいえない。前者の求めるクォリティはカメラマンも求めるクォリティと同じくらい自己満足でしかない。
結局、マーケティングってことは、クォリティとコストの無限の組み合せの中で、最適ポイントを探るってことなんでしょう。通常、撮影代ってブラックボックスだったんです。というものが、いくら請け負い業だから中身がわからないとはいえ、売り手側の理屈だと、あとからハードルが高くなるのが怖いわけですが、買い手側の心情でも、あとから値段が上がるのも怖いんでしょう。
だ からそこをどういう風に可視化したらいいのかって考え込んでるとこです。明確なスタイルとわかりやすい料金設定をしてみようかな、と。そら〜無茶な注文が きたら、その料金内では対応できなくなるので、だから料金設定の可視化ができなかったわけですが、それなら、撮影スタイルを決めてしまって、うちでは、こ のコンセプトなんで、合わないお客様はご依頼いただかなくて結構です。くらいの自信を持って。
それと、コストを含めて競争に勝つためには、いずれは組織化を目指さなきゃいけないでしょうね。効率化を徹底するには、マニュアル化なんでしょうけど、いきすぎたマニュアル化は士気をさげるし、だから優れた経営者って、権限の集中と移譲をいいタイミングで繰り返せる人なんでしょう。経営者としては、金と人事権以外は、すべて移譲してもいいとも思ってます。
じゃあ、ボトムアップ型がいいの?って話だけど、組織論としてはトップダウン型が正しい姿だと思ってます。ただこれも、バランスで、いきすぎたトップダウン型は閉塞感を生むし、組織として得るものも少ないんじゃないかなあ。クリエイティブな業種の場合、自由に発案できる環境と、すぐれた案を評価できる度量の両方が大事なんでしょうね。だけど、注意すべきは、ボトムアップ型でみんなの意見を集約しようとすればするほど、すべての案の中でもっともつまらないものを採択することになりがちなんですよね。クリエイターとしては最終的なビジュアル決定権に仕事の全てがあるので、その権限をコントロールできる人間があらわれたなら、必要に応じて、移譲していけばいいのでしょう。どこかでそうしないと、人は育ちませんしね。
そういえば、昨日は二次使用ガーってブログを書きましたが、さきほど、現在企画中のイベントのの作戦会議オフしたんですが、カメラマンの塩谷さんは昨日、著作権の勉強会に出席してて、僕も、それにはいきたかったんですが、ちょっとスケ ジュールが不確定で申し込みを躊躇してるうちに満席になってしまったのですが、二次使用に関しては引用無罪って技もあるよね^^って話もあったそうです。ほ とんどの広告写真も場合、ほとんどの広告写真も場合、写ってる内容が、例えば、クライアントさんのなにかだったり、そうじゃなくても、撮影経費をクライア ントさんが払ってることもあって、それに対して、売り手側の理屈ではなく、買い手側の心情として、どこまで撮影者の著作権を納得いただけるか、ですが、実 は、これも結局は、写真の中身次第なのかもですね。例えば、僕の展覧会に作品として並べられるような作風の写真なら、二次使用っていっても、そらそうだよねって自然とご納得いただけるでしょうし、そうではない通常の写真に対し、著作権を主張するのも、不自然なのかなあと、実は自分でも思ってたりしてます。
そんなことをうだうだ考えてみた晩夏の夜。
公式サイト→http://www.yoneharakeitaro.com/
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