2013年8月25日日曜日

広告写真の値段の付け方

値段の付け方ってなに??ってわけだけど、値決めは売り手が決めることだという考えもあれば、買い手が決めるという考えもある。最終的には、双方の合意で決まってくるんだけど、普通の感覚だと、双方とも相場よりちょっと安い、ってしがちなんじゃないかなあ。そうなると、本当にいいサービスをするということを忘れてしまう危険がある。必要十分なサービスを必要十分な価格で提供するのがベストなんだけど、競争社会の中、極端なことをいうと、大幅に下げて薄利多売でいくか、逆に高くして少量を売るのか、結局、価格設定は無段階になってしまうので、答えがわからなくなる。だから、値決め=経営哲学なんだろう。
安くするという考え方は、わかりやすい。ぼくらだって、買う時は1円でも安い方がいい。だけど、内容に納得できるなら、喜んで高い金額を払う。高く売る技術ってのもあるんだろうけど、安くできる効率化という技術もある。

『いくらの仕事させて頂きましょ?5万円なら5万円の仕事、100万円なら100万円の仕事やらせて貰います。』って考え方もある。たしかにそのとおり。家建てる時とかはそういうもんだと思います。カメラなに買ったらいいって相談でも、まず予算を聞きますしね。そういえば、僕は昔勤めてた会社の上司から、『広告クリエイティブの値段がなんで高いお金とれるかっていうたら、その広告でクライアントさんを儲けさせたからや。だから、最初は値段とか気にせず、クライ アントさんを儲けさすことだけ考えてたら値段は勝手にあがってくわ』といわれてました。だけど昭和30年代に創業してた当時を今から振り返るとそれでよかったのかもですが、どちらの考え方も、ちょっとすっきりしてないのが今の僕です。

写真撮影費って結局、値段を明記してない理由のひとつに、これだけでよろしくっていわれるケースで、思ってたよりもたくさんもらえる可能性があるからなんでしょうね。また5万なら5万の仕事、100万円で100万円の仕事はいいんですが、実際には求められる仕事の制作クォリティが、100万でも5万でもあんま変わらないことがあるんですよね・・広告の場合は、どちらかというと先人が、使用媒体と期間とかで相場を上げて来たんでしょうけど、その一方で、裁判の判例で、そういう前例までは残してきませんでした。僕の著作権裁判でも、作品として撮影したデータを広告に使用したから僕が圧倒的優位だったのですが、もし1万円でも、一次使用の制作費を受け取ってたら、実は、話が違うことになってて、つまり、二次使用の請求って、法的には微妙なのかな、と裁判中に感じました。契約書に明記してなければ、曖昧だから、と例え1万円でも、取引成立してるなら二次使用時にどうなる かって契約書を交わしてない方にも落ち度があるって理屈です。

2次使用とか、通常の無断使用しても裁判で曖昧に済まされるんだし、媒体とか期間で値段変えるんじゃなくて、またクライアントさんが儲かろうがどうであろうが、それだってカメラ機材に例えたら、そのカメラ機材がカメラマンを儲けさせてくれようが箪笥の肥やし なってようが機材購入費って変わんないのと同じで、その撮影する1カットの制作労力だけの値段にしたら、清廉潔白かなあ。
そんな風に、2次使用フリーでいくか、もしくは、契約書を交わさないかぎり、裁判で不利なのを承知でいままで通りいくか、毎回、細かい契約書を交わしてめんどくさい奴って思われるか、の3択なのかもしれませんね。もちろん、版権フリーと2次使用許諾はまったく意味が違うんですけどね。
僕としては、なんでもかんでも、2次使用料金主張するのも違和感があって、だけど、作品クォリティのものだけはしっかり管理したいと思ってて、つまりは、2次使用する時は使用料を払うという契約書を交わせる環境作りも必要なんでしょう。撮影スタイルを松竹梅に商品分けして、竹と梅は、納品先企業に限り2次使用フリー。という契約書をこちらから提出することで、逆に、松は、2次使用時、別途っていう契約書を交わしやすくなるのかもです。松竹梅を定着させるためには、極端な話、100万円なら100万円の仕事やらせて貰いますが、ご依頼内容は弊社では松竹梅の竹相当の内容ですので、5万円です。二次使用もどうぞご自由になさってください、また打ち合わせもそんな頻繁に必要ありません。電話とメールで十分です。いうくらいのアングルも必要なんかなあ。

業界内の理屈はわかってるんです。わかった上で、だけど、ちょっといままでの業界の常識というものを疑ってみようかなあというところから文章を書いてみました。

1カットの値段の違いに関して、業界内の理屈というものをまとめてみます。

基本的に、1カットの値段の違いってだけでいうと、手離れの良さとカット単価は反比例するのは時給という考え方で、ほとんどの場合、そうなりますし、これに関しては理解は得られやすいです。正直、似たような写真でも、高いギャラの時ほと打ち合わせ回数が多かったりします。ギャラが高いので、打ち合わせに時間がとれるっていい方もできますし、安いから時間がとれないっていい方もあります。変わるのは打ち合わせの数だけ?? この打ち合わせって僕が出席する必要あるのかなあ?って思うこともあれば、この打ち合わせにこの人数いるのかなあってこともあるような。
また逆に、手離れとか制作コストってのは、売り手の問題であって、買い手からすると、関係ないって考え方もあるのですよね。

使用媒体や期間によって値段が変わる理屈が3つあって、
1つ目は、印刷数が多いとか、見る人が多いから値段が高いという考え方です。写真撮影1点ではなく、複製数1点あたりの単価っていう値つけですね。媒体とか期間ってのは本来、見た人数の違いですもんね。映画でいうと、映画館に 2回入ったのと同じだから料金2回分って考え方と、そうじゃなく、買って来たDVDを何回みても値段は同じって考え方とって違いなんでしょうね。

2つ目は、作詞作曲家や漫画家のキャラクター使用と同じで、作品のレンタル代という考え方という人もいます。レンタル期間が長かったりレンタル場所が増えたら、追加料金となると。ということは、キャラクターだといえる写真に限定して、主張できるような気がします。

3つ目は、例えば、カタログ用に撮影したカットをポスターにも使うって場合、これは、本来の考え方で言うと、ポスターの写真を撮るための予算を組んでたけど、あらためて撮る必要がなくなったという2次使用料金の発生ですが、一般的には、いい写真を撮ってくれたボーナスも兼ねてるというと、納得されやすいでしょうね。人参みたいなもんでといえば。ということは、人参をぶら下げれば走るってことは、それって成功報酬ですから、ギャラの相場というものは、最初からなかったことになってしまうような気もします。

同じような写真にも関わらず、値段が違うケースとして、使用媒体の性質の違いというケースがあります。
例えば、ファッション誌とファッションカタログだと、ほぼ同じ写真内容だったり撮影環境なのですが、日本の場合は、雑誌の方が安いです。雑誌は雑誌が商品そのものであるのに対し、広告は写ってる商品を売るための情報伝達目的という違いが一応あります。雑誌は「商品そのもの」という考え方は、印税を例にだすとわかりやすいですね。商品が売れたら儲かるし、売れなかったら儲からないってことですから。売れてるかどうかは、雑誌ごとに違うし、スタイルごとに労力とかも違うので、一律の値段という考え方はおかしいですね。雑誌ごと、ページごと、カメラマンごとで値段の高低がもっと極端にあってしかるべきですね。つまり、売れてない雑誌のギャラが安い理屈を成り立たせようと思ったら、売れてる雑誌のギャラが高くないと成り立たないんじゃないかなあと。
似たような考え方で印税方式ってのがあって、一般的な考え方でいうと、委託販売に近いので、理解はしてもらいやすいのでしょうけど、雑誌で印税ってことはなく、カメラマンにとっても雑誌にのってる写真が商品というよりは、カメラマンは外注先であるケースの方が多いような気がします。
つまり、電気製品でいうと、電気屋さんが本屋さんだとして、製品メーカーが出版社。カメラマンは、製品の下請け部品メーカーのひとつ。下請け部品メーカーにとって、電気屋さんに並ぶ製品が、商品そのものといえるのかどうかですね。いえるケースもあるでしょうけど、少ないような気がします。ただし、部品メーカーの場合は売れたら受注も増えるので、カメラマンに例えることはできるのは、ある側面だけですね。

もちろん理屈の上ではってだけで、出版不況という現実を見ずに書いてます。ちなみになんですが、僕が直接聞いた範囲内でいうと、某老舗雑誌の撮影代は、ページ単価15000円。ただし、40年前も同じ値段。その頃、大卒初任給も15000円だったとか?? また、ある海外雑誌は、1ページの総予算が80万円組んでると。だから、読者が望むめちゃゴージャスな撮影ができると。ちょっと最初の話にも戻るけど、利益を確保することを目的とした場合、金かけて高いものを作って売り上げをあげるか、少ない売り上げでも利益を確保できるように倹約するか、どっちかになることが多いのでしょうね。

だらだら書いてきましたけど、例えば、カタログとポスターで使うからってことなら、両方で使えるような写真にするための調整が入るので、そう説明すれば、カメラマンに限っては割増になるのは理解してもらえるでしょうけど、HMさんやSTさん、モデルさんなどで、媒体数が1個でも3個でも、コストとか労力とか品質とかも変わんないことの方が多いので、だから二次使用で追加料金って発想が理解得られにくいのでしょうね。僕なんか裁判したくらいだしw たとえ話なんですが、こないだ、刺繍屋さんと話してたのですが、singerってミシンメーカーのミシンって、壊れなさすぎて、売れなくなって潰れたっていうんですね。sonyとか見習えばいいのにって話なんですが、わりと広告にも当てはまると思ったのですよ。本当にいい道具は、同じものをずっと使い続けるように、本当にいい広告も、同じものと使い続けてもいいんじゃないかなあって。
だけど、そうなると、仕事がなくなるんですよね。壊れない電化製品を作るとメーカーが潰れるようにね。そのための使用期間の制限(タイマー)という権利主張が生まれたと理解してます。だけど、お客さんにとって、どっちがいいことなのかなってことも思う訳です。

実は、商品撮影のデジタル以前以後の変化について考えてて、そのうち書きますけど、簡単にいうと、フィルムかデジタルかじゃなく、媒体のデジタル以前以後で求められる撮影って大きく変わってて、紙媒体の場合は、限られた紙の面積で多くのことをいわなきゃいけないので、1枚の写真で、全部のことを言う必要があって、ネットだと、表示面積が無制限に増やせるので、1枚の写真で全部を言うのじゃなくて、1枚の写真で1つの要点、というのを複数枚使う、という違いがある、と。もちろん、後者だと、1枚の写真にこめられた情報量は少なく、だけど、複数枚で説明するから、全体での情報量は多いし、そのためのバランスでもある。だけど、1枚ごとで比較すると、1枚に全部入れた写真の方がクォリティが高いと判断される。そこらへんが、ネット用の写真軽視という誤解にも繋がっているかなあと。むしろネット用の商品写真だと、1枚あたりの撮影料という考え方は不適切なんじゃないかなあ、と考え始めてて、写真の値づけってことも、ゼロから丁寧に考えてみようかなって。

公式サイト→http://www.yoneharakeitaro.com/

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