2013年1月6日日曜日

日本史の中で勾玉以降、装身具が消えたんだけど・・・

そんなことを思いながらもうちょい調べてみると、
1993年に東京都板橋区四葉遺跡の弥生末期の方形周濠墓から長さ7.4センチメートルのヒスイの勾玉が出土してて、これが考古学的には、現状、日本最大級らしい。ちなみに、うちの近くなのが、ちょっと嬉しい。いまや、普通の住宅街なんだろうけど、今度、歩いてみようと思う。

勾玉は、縄文中期(BC5,000年)頃から作られていた。
しかし、古墳時代を境に、それ以降は、突然、勾玉は作られなくなってしまうばかりか、平安時代以降、装身具は姿を消してしまう・・・。

逆に、勾玉は、、沖縄ではノロ(祝女)の祭具として使用され、現代もその伝統が受け継がれているし、アイヌにも、勾玉ではないかもしれないが、それ以降も装身具文化は健在であった。

聖徳太子の時代から大化の改新あたりにかけての改革は、歴史の教科書に載ってる以上の大変革だったのかなあ。巫女のつかさどる神託政治から、武をつかさどる権力者による政治への変化のようななにか・・。

そういや、昨日の日記で、縄文の痕跡が、現代神道にどこまで残ってるのか疑問だみたいなことを書いたが、事実として、私たち現代日本人は、土偶の造形に、なんらかの感情の起伏を覚える。そこらへんになにか解き明かすヒントがあるような気がする。

公式サイト→http://www.yoneharakeitaro.com/

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