2013年1月7日月曜日

出自不明の神こそ、由緒正しいのかもしれない話

京都御苑の東側に、京都三名水の1つとして名高い染井の水ってのが湧いてて、京都に住んでた頃は、缶ジュースを飲むのもいいけど、わざわざ名水を選んで飲むのも粋やねんってことで、たまに来ていた。ま、わりと都心になるので、わざわざってほどの地理でもない。
そこは、梨木神社の境内で、萩の名所としても名高い。ある時、神社の由来を読んだんだけど、詳細は忘れたのでwikiってみる。明治維新に大きく貢献した三條實萬(さねつむ)・三條實美(さねとみ)父子を祭神して、明治18年(1885年)創建だそうだ。ちなみに、三条実美の没年は、1891年なので、生前時に創建というか、いずれにしても、わずか100年ちょっと前の話で、しかも実在の人物を祀ってる。はたして拝んでもご利益があるのかなあって考えても、まあどうなんやろね。

考えても見れば、天神さんも、菅原道真公だし、豊臣秀吉も徳川家康も死後、神様になって神社に祀られている。

神社ってのは、もともと、お墓だったんじゃないだろうか?!
祖先信仰みたいなかんじで。

出雲大社も、ほろぼした出雲の王族を祀ってるともいえるし、伊勢神宮も、卑弥呼と台与を祀ってるともいえるかもしれない。
八幡さんは応神天皇って説もあったりするみたいだし、上賀茂神社と下鴨神社も、賀茂氏の氏神を祀る神社だから、単に、先祖代々のお墓かもしれない。

なにがいいたいのかというと、なんとなく、縄文の姿が見えて来なくて、それを探ってるんだな。鳥居でさえも、弥生時代の遺跡からは遺構が発見されてるが、縄文時代の遺跡からは発見されていない。鳥居は、もともとなんだったのかなあ。縄文時代当時は、今と別のものだった可能性はある。例えば、伏見稲荷の鳥居ってトンネルにしか見えないんだけど、まさにトンネルを支える柱と天井だったのかもね。ほら、だいたい、神社って山だし、山の入り口に鳥居あるし。なんにせよ、よくわからん。縄文依頼で残ってんのって何? ってかんじ。じゃあ、それなら縄文人は全滅したのかっていうとそうではなく、DNA上は、本土日本人の40%が、男系Y染色体が、縄文人特有であるようだ。移入した人を駆逐するのではなく、融和し多様性を尊ぶのが現代の日本人にも通じる美徳でもあろう。また、日本語という言語は周囲の言語と比べて独立性が高い以上、日本列島で独自に自然発生したと思われる。ぶっちゃけると、日本語のルーツは3万5〜6千年前から九州で使われていた言語なんじゃないだろうか。
方言の分布は、京都を中心とした同心円というが、そこに出雲を中心とした同心円が重なるという。
京都中心の同心円は説明不要だろうけど、出雲になにがあったの?っていうと、神話の時代にまでさかのぼらなければならない。弥生時代の数百年だけの影響が、以降の千数百年の歳月に耐えられるのかなあ。もしかしたら、縄文時代からの影響かもしれないね。

本土日本と違って、DNA的にも、縄文由来のY型遺伝子率が多いアイヌとか沖縄にはなにか残ってるのかなあ。そら3千年の歳月があるんだから変化はしてるだろうけど・・・。

縄文数千年の歴史はそれなりの一貫性があって、弥生以降の2千年もそれなりの一貫性がある。その両者の断絶が問題だ。

基本は農耕&狩猟でしょう。そういう意味では日本の原風景そのものだろうし、心情的な土台の部分では残ってるといえる。だって、言語は、残ってる訳ですよ。しかし、言語が残ってるのに、宗教は残ってない。

もしかしたら、縄文時代って、無宗教だったのかも?!現代日本に近いようなかんじで。だって、八百万の神々って考え方も、弥生以降ですしね。しょせん。土偶とかも、神さんじゃなくて、キティちゃんとかに近いキャラクターグッズやったりしてw

宗教って時の権力者によっていくらでも禁止や布教が出来るから永久的なモノではない一面もあるしね。宗教=思想だから異民族が征服するとき土地の神をないがしろにすると反発されるので融合させて恭順させるという方法をとるのは、洋の東西を問わないだろう。つまり、「あんたの神も残すよ」ということで恭順させたということは想像できる。縄文の神がどういう風に形を変えたのか、そこがポイントなんだろうな。

出自不明の神こそ、由緒正しいのかもしれない。

となると、道祖神とか妖怪とかなのかなあ・・・

公式サイト→http://www.yoneharakeitaro.com/

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