2012年12月25日火曜日

現代美術の移り変わり?

もしも、絶対的な美があるとするのなら、流行で変わるということはないはずで、古典と呼ばれるものは、ある程度、変わらないできているのに対して、現代美術はどうしても変遷というものがある。
僕自身の人間関係などを含めて考えて、現代美術といえばモノ派でサブカルといえば寺山修司で、それじゃなんだかなあってことでダムタイプ的なメディアアートや、なんらかの体験型アートに活路を見いだそうとしてた。それは学生だった99年までくらいかな。その後、デザイン事務所に就職し、それまでデザインの方向にはほぼ見向きもしなかったので、慌てて吸収しようとした。あまりにも白紙であったかもしれない。思うに、世の中のすべてのものは、多かれ少なかれなんらかのデザイン的意図を含むと気づき、とくに、アノニマスなデザイン、無から普通を作ることのむずかしさに興味を持ちつつ、 と同時に、奇天烈なデザインをほんとはしたいよなあって思ってた、若きデザイナーってかんじだったのかもしれない。フリーになってからは、京都関係の仕事が多く、この時は、日本の古典、庭園や盆栽、着物などなどやったね。なんてかんじでいるうちにジョンガリアーノのデザインしたクリスチャンディオールのパリコレ、とくに2003年のAWなんかは強烈で、なんだ!これは!こんなおもしろい世界があるのか、とファッションにいたく興味をもった。で、今に至るので、実は、99年からのほぼ10年間、現代美術に関して、はっきりと疎遠であった。もちろん、同級生の活躍を拝見してたし、まったくのぞかなかったわけではない。しかし、ギャラリー巡りにせよ、美術館巡りにせよ、ほぼしてない。美術雑誌も見てない。たま〜に、もらった美術手帖を見ても、ちんぷんかんぷんやったね。

その上で感じることなんだけど、随分、変わったね。

荷物整理をしてたら、学生時代に買った、ペヨトル工房が出してた現代アート本とかもでてきて、今注目の画廊!なんてのってたけど、ほぼなくなってるね。こないだ立ち読みしてた似たような本があって、あれ?なんか古いような?って思ってよくみたら2003年だか4年だかの発行で、その状況と今とはあんまり変わらない。住所とかは違ってるけど・・・。

どうも、90年代後半くらいに、現代アートの業界は、激変があったような気がする。
単なる世代交代にしては、大規模すぎやしないか?

まあ、ギャラリストって商売なんて、40すぎまでは下積みで、そっから一気に花ひらいて、10年くらいピークであと引退ってケースが多いのかなあ。

ただ、90年代当時と比べて、今の現代アート業界って、ギャラリストの方にスポットライトがあたってはいないか?

そらあ、売る能力があるギャラリストが扱うから売れるんだ。ってのもわかる。
作品はそこそこであればとりあえずOKで、だれが扱うかで値段が変わるっていう人も実際にいたよ。それも複数。

しかし、本来、すばらしい作品だから、すばらしいのであって、それを誰が扱うからって関係ないんじゃないのか? 青臭いかもしれないけど、青臭くっていいじゃないか!

しっかし、モノ派的な作品って、今は、ないね。なんでかなあ?正直、僕は好きなんだよね。

全体を俯瞰的に見ると、 2000年以降の現代アートの特徴として、プロダクト化というものがあげられると思う。美術批評の世界でも、マーケティング理論が、芸術論よりも跋扈してるような気もする。

そういや、ここんとこ会った人で、芸術論を語るべきだ!っていう人よりも、マーケティングを踏まえるべきだっていう人の方が多くてうんざりやね。

ここらへんは、もうちょい深く考えてみよう。

公式サイト→http://www.yoneharakeitaro.com/

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