2013年2月13日水曜日

板橋の田遊び 2/13夜 赤塚諏訪神社

東京のような情報があふれでた現代都市であったも、いまだに、ガイドブックに紹介されていない祭がある。祭というより、神事というべきものかもしれない。

板橋の田遊び という神事を今回、訪ねてみた。実は、板橋に引っ越して来て、区役所とかで見て、なんかあるなあ、くらいにしか思ってなかっただが、 ちょっと調べてみたところ、2/11と2/13にあって、2/13にあるやつの方が、獅子舞とか天狗の舞とかもあっておもしろそうだ。実はこの神事が行われる神社がある地域から、考古学上、日本最大級の翡翠 が出土されている。神事自体は、一応わかってるだけでも1000年以上の歴史があって、それ以上昔のことはわからないってことは、もしかし たら、弥生時代くらいに原型があったとしてもおかしくない?? ってことかもしれない。だって、一応は、稲作の神事なんだから、起源は稲作といっしょであってもおかしくないんだから。


とはいえ、ガイドブックでほとんど紹介もされていないし、あたりはずれは半々かと思っていったのだが、おもいのほかの迫力であった。

地図を見ると、高島平団地の裏手、新興住宅街の中にある。車でむかってはみたものの、街灯の光も薄暗く、どこかよくわからない。しばらく道に迷ってると、石垣が連なっている壁に出くわし、たぶんここなんじゃないかなあと思ったら、案の定、神社だった。近くのコインパーキングに車をとめ、大急ぎで神社にかけつける。たこ焼きとか食べたいなあと思ったが、出店は一軒もない。祭、ではなく、神事、ってことなのかもしれない。1年でもっとも寒い季節、もっと厚着をしてきたらよかったと思う。近所の人がちらほらと集まって来る。みたかんじ、ほとんどの人が徒歩圏内から来た地元の人のようだ。小さい子供が、さぶいからと、ぴょんぴょん刎ねているのが微笑ましい。

本殿周りは、神事のための飾り付けがなされ、素朴ながらも、雄大である。太陽をかたどった飾りのついた棒と、月の飾りのついた棒、そして、カラフルな棒の三本が目立つ。カラフルな棒は、あとからわかるのだが、祭りの主役のようなもので、これは、私見だが、日本の神道の原書的な形は、棒振りなんじゃないかと思っている。棒を振ることで、場を清めるような意味合い、それは、相撲の弓取りに継承されてもいるんじゃないだろうか。

社務所から、天狗が出て来た。
そして、神輿をかついで、ぞろぞろと神社から出て行く。
空地のような野原まで行列はつづいている。
空地の奥には、小さな社があった。
そこで、儀式ははじまった。

神主の詔のあと、「イヨイヨ、イヨイヨ、イヨイヨ、」のかけ声で、カラフルな飾る棒が振られている。そこに、棒振り、子供、獅子舞の順番で、それぞれが、飾り棒とまるで格闘するかのように、近づいては離れて行く。とくに、獅子舞と飾り棒の激突は、さながら竜虎相打つかのようであった。

そして、神社に戻る。同じく、「イヨイヨ、イヨイヨ、イヨイヨ、」のかけ声で、棒振り、子供、獅子舞の順番で、飾り棒とぶつかっていく。

その後、爺婆の舞があり、太鼓の前で、神話??をうたいあげ、どんど焼きをして神事は終わった。どんと焼きで、達磨さんが棒にはりつけにされてたのは、どういう意味があるのだろう??




正確に記録するような取材をしたわけではないが、おおざっぱな流れはこんなかんじである。

都内近郊にもこの手の古い行事、神事は、思いのほか残っているようだ。だれもちゃんと撮影してないのなら、ドキュメンタリーしてみようかなあと思ったりする。

とくに埼玉県って、比較的、獅子舞が多いようだ。獅子舞の分布は、北陸が特に多く、なぜか香川県もそれに次ぐのみで、西は少なく、東に多いらしい。獅子舞の起源も諸説あるが、それより古い神事も、他にも残ってるはずで、なんかおもしろそうだ。

情報が少ないので、当たり外れもあるだろうし、道に迷ってたどりつけないことも多いだろうけど、情報が多いものほど観光化されてるような気がしますし、情報が少ないものの中から掘り出し物をみつけていく方がおもしろそうだ。

公式サイト→http://www.yoneharakeitaro.com/

0 件のコメント:

コメントを投稿