アートに限らず、ものには適正価格というものがある。また、現実的な話、というものもある。同じ物だとすると、買う側からすれば、できるだけ安い方がいいし、それに対して売る側は、だから、安くする努力をするか、マイペースに質の高さを追求するか、どっちかなんだろうけど、答えがないと迷うのが一番ダメな気がするので、ちょっと考えてみた。
ある骨董屋さんに聞いた話だと、動くのは50万円前後くらいのもの。もっともそれは景気がよかった頃の話なので、今は2〜30万円前後になってるかも。そこは数千円のものから値段がつけられないクラスまで扱ってた。他に、あるアートギャラリーの人に聞いた話だと、そこもピンキリまで扱ってはいるが、現実的に3万円くらいのものが実際にはよく売れる。逆に、数百万円のものしか扱わないよ、ってギャラリーもある。
いろんな人のいろんな話を聞くたびに、いってることは真逆であったりしても、それぞれなるほどなあと思う。
アートを買う人、つまり、アートコレクターっていっても、よし!アートコレクターになるぞ!と決意してなるわけではなく、気づいたらなってたってケースが多いはずで、普通は、最初から、何十万円の作品なんて買わない。ギャラリーや美術館で見るだけだった人が、数百円のポストカードを買ってみて、でもそれじゃ満足できないので、数千〜数万円のドローイングや小品を買う。例えば3万円の小品を10個買ったら、30万円なわけで、3万円のが10個あるよりも30万円のが1個の方が満足度が高いので、そうするようになる。同じように、数十万円の作品が10個あるよりは、数百万円の大作が1点の方が欲しくなって来てって話になる。ここらへんから、ちょっと値段が嵩んではくるが、大人の趣味としては、そんなに珍しくない値段でもある。これ以上になると一部の大金持ち限定だと思うけど・・。
そういう理由で、安い作品を用意するべきとすすめられたこともある。理屈はわかる。
しかし、わざわざ労力をかけてまで作るべきだろうか?
というのも、3万円のアート作品って、それってアートなのだろうか?と。
ギャラリーの取り分が3〜5割として、15000〜20000円程度が作家の取り分だろう。
極端に考えて、人件費というか労力を無報酬としても、最大でもその範囲内の材料費しか使えずに作るしかないわけで、作る時に、最高峰を目指すのではなく、原価計算しながら作ることになる。これって、アート作品とデザイン商材の違いのような気がしてならない。次に、デザイン商材、つまりは、ミュージアムショップに並んでるものと考えた時に、これって3万円の値段つけていいの?って疑問もでてくる。
その一方で、アートコレクターさんのオフ会をのぞいたことがあって、その時、むっちゃ大事そうにドローイングを持って来て見せびらかしてた人がいたのを覚えている。そういうのっていいなあと、その時は思った。現役作家のドローイングなどの下絵なんかだと、数万円くらいが適正価格な気もする。ドローイングっていっても、ある程度、その中から選ばなきゃだめでしょうしね。
写真だとよくあるのが、大中小とサイズ展開して、小さいものを安くするケースが多いようだ。しかし、写真のテーマや画風からして、必然的なベストなサイズというものがあるはずで、それを無視して、値段を作るためにサイズ展開するというのはいかがなものか。
小さい作品ならば、サイズが小さいなりの大きな宇宙をそこにこめるべきで、つまりは、小さいサイズにあった写真を別に撮るべきだ。単に、縮小拡大していいというものではない。
エディションのつけ方もどうなのかなあ・・
例えば、最初の1枚は安く、だんだん高くなって、最後はめちゃ高くする方法もあるが、なんか商売っけの塊みたいで嫌悪感がある。エディションを数枚限定にする人もいるが、たしかに、特殊なプリントだったり、ばかでかいサイズならわかるんだけど、そうでない場合は、複製芸術のメリットを殺してるんじゃないか。複製芸術は、複製できるから、1点ものに比べて、買いやすい値段設定にできるのがメリットのはずだ。逆に、1点ものは、とことん強気でいいと思う。
ちょっとまとまりがなくなってきたけど、今日のところの考えをまとめると、芸術家は、売ることを目的に、買いやすい値段の安い作品を作ることに注力すべきではない、値段というか資本主義的すぎるかもだけど、芸術性を高めることに専念すべきだ。妥協なく!そこには原価計算とか生産効率はあっても意味がない。だからある程度、高額になるのは仕方がない。
ここらへんを、僕個人でもだし、僕が企画運営するアートスペースでの指針ともしていこう。
米原敬太郎公式サイト→http://www.yoneharakeitaro.com/
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