今日の打ち合わせで、チェイコ・レイドマンって写真家の名前がでてきた。写真雑誌PHOTOの表紙をずっと撮ってた人で、イタリアンヴォーグの仕事を蹴ったこともあるような人だとか。恥ずかしながら、知らなかった。ちらほらとiPHONEで、写真を見せてもらったけど、なかなかなビジュアルショックだ。
で、打ち合わせ後、さっそく検索してみた。
70年代、80年代のパワーがみなぎってるね!
この時代ってのは、写真がまだ細分化しきれてなくて、
細分化ってのは、それぞれ細かく分類して、型枠にはめて、マニュアル通りにすることで、
そういうのが、なかったから、毎回、試行錯誤して撮影してたのだろう。
現在の写真は、細分化され、それぞれが、完成されてしまって
それは、生産効率をあげたかわりに、完成=進化をやめてしまったことも意味してはいないか。
他のカメラマンの写真を見せて、こういう風に撮ってくれって、撮影依頼は、
現実として珍しくない。
いつも通り撮ればいいんだよ。前回と同じでいいんだよ。
では、 新しいことを考えなくていい分、楽である。
新しいことに挑戦しない分、失敗も少ない。
しかし、その結果が、写真表現の生命力の低下につながっている。
完成されたお手本と比べ、違うアプローチををしようとすると
考える無駄、挑戦するリスクがあるかもしれない。
しかし、そういうお手本がなかった時代は、写真のバリエーションが豊富だった。
カメラマンが自由だったのでしょうね。
自由に対し、責任も持ち、リターンもあったのでしょうね。
時代に対して、もう一度、 こういう生命力あふれることをやってきたいね!
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