美人すぎるジュエリーアーティストのSCARAさんにモデルをお願いした。メイクは、隈崎晋哉さん。
テーマは、タロットシリーズ。これは制作、再スタートしました。 何度か書いてるような気もするけど、タロットの専門家じゃないんだから、22枚って枠にこだわらず、謎は謎のまま、個々のテーマを、ユングの元型のような普遍的ななにかと設定し、それを米原なりに解釈しなおしてビジュアル化する。手法は、大判フィルムによるアナログ合成。まあ、近い将来なくなることが予想されてるので、じゃあ、なくなるまでやって、それで終わりでいいじゃん、と。そしたら、幻の手法で作られた作品になって、それも伝説だよね♪ってのりでもあったりする。
今日も朝から、あーでもない、こーでもないってやりながら、撮影した。撮影機材の部分は決めてはいるが、それ以外は、バラバラでいいと思っているんだけど、今日は、生け花スタイルというか、やりながら、みながら、変えながらってかんじだった。
今日のテーマは、タロットでいうところの悪魔なんだけど、悪魔は、日本風にいうと鬼。だけど、悪魔はもともと堕天使であり、キリスト教以前の神でもあったはず。怒られるかもしれないけど、旧約聖書の創世記で、アダムとイブに知恵の実をすすめた悪魔は、ある意味、知恵を授けた神なんじゃないか、とか。だれかが数えたみたいだけど、聖書の中で、人を殺した数は、神と悪魔じゃ、圧倒的に神の方が多かったとか?!ノアの箱舟の大洪水をのぞいてもっていうんだから、全知全能は伊達じゃないね。なんてね。そういうことを思うと、一神教とか二元論的な宗教に比べて、日本の八百万の神様ってのは、おおらかでいいよね。
鬼と翻訳するにしても、悪魔といいながらも、そこには、別の味方をすれば、もうひとつの信仰の姿があるととらえたかった。上から見下ろすのではなく、人間の目線でともに歩いてくれるような・・。
ステレオタイプなわかりやすさと、それをちょっとひねったかんじ、その狭間の部分に、真実が隠れてる。
こういうのって、イメージをまとめるのに数ヶ月。個別のイメージを撮影前に反復するのに何枚もスケッチを重ねて、その重ねた枚数だけ、撮影中の変更できる幅が増えるような気がする。撮影前は、あんだけ熟考して、これだ!って1点を決めたはずなのに、どうしても変更してしまう。撮影当日の変更なんて、あっちゃいけないことなんだけど、それを選択せざるをえない裏付けが、撮影前の熟考の数だけあるというようなところか。究極のところは、やってみないとわからないなにかがあるから、やってみないとわからない。ただし、それを理由に考えることを放棄しちゃだめだ、と。やってみないと見えて来ないものを、見える幅や奥行きを増やすためにもね。 で、デジタルと違って、大判フィルムの撮影で決めてることは、とりあえず、撮ってから、あとから考えようって方法は、絶対にしない。撮ったあとで選べるってものは、表情などの不可抗力な部分だけで、それは仕方がない。モデルの手が上にあるとか下にあるとか、どっちの手になにを持つとか、色は何色とか、そういうことは、撮影前なら、無限の可能性の中から選べる。しかし、撮影後だと、撮影した中からしか選べない。撮影枚数を増やそうにも、間延びをしては1カットずつの緊張感が分散する。僕のやり方は、撮影前に、可能なかぎり選択肢を検討しつくすこと。撮影枚数はできるだけ少なく、その一瞬にすべての緊張感を注ぎ込む。
そんなこんなで今日も撮影ごくろうさまです。
今日も遅くまでありがとう!
米原敬太郎公式サイト→http://www.yoneharakeitaro.com/
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